Daily life of entrepreneurship and hobbies

月: 2022年5月

激務のため、過労で透析??#6

体調が悪く休んだ方が良いことは分かっていたのですが、代わりに対応してくれる人がいないため、休んでも連絡が来るので気持ちが休まらず結局出社したほうが早いとの考えになり無理に仕事を進めていました。

流石に39度近くの熱が続くと意識も朦朧とし診てもらったところ腎盂炎との診断でした。強制的に休みを取り携帯もオフにして2~3日療養しました。

売上げが上がるにつれ社内の問題も出てくるようになり、現場に向いて仕事をするグループと副社長に気に入られようと動くグループに分かれていきました。

会社あるあるですね。

現場を大事にするグループは大型案件を何件も受注してきて会社の利益に大きく貢献していました。

副社長に気に入られようとするグループ(いわゆるイエスマン)は社内システムの構築に力を入れていきます。この副社長グループが導入した社内システムは現場の動きとはかけ離れたシステムを採用し同じような項目の入力が何度もしなければいけなく、しかも別々の会社のシステムを導入したため、連携が取れないため、同じような入力を何度も行うこととなりました。

これはさすがに社内で問題となりシステム入力のために何時間もかかることから社長も激怒し副社長は自分は知らないといった態度を取ります。

結局副社長についていっていた人たちが責任を取ることとなり降格、及び減給となりました。

しかし副社長グループ連中はこれでは終わりません。副社長からとりあえず責任は取れと言われていたようですが、すぐ元のポジションに戻すと言われていたようです。

現場グループは大型案件の受注をしているのでそれどころではなく、開発連中と毎日喧々諤々と打合せを行っています。

導入時期に間に合わないといった案件も出てきて、副社長グループがここぞとばかりに会議で詰めてきます。どうやってシステムを完成させ現場から検収をもらえるかを考えるのではなく、なぜこのような案件を受注したのか?と言って詰めてきます。これはいくら話をしても根本の考えが違うため落としどころが見つからない会議となりました。

副社長グループはコストをできるだけ掛けずに大型案件もしくは案件を取るといった考えで現場グループは多少無理をしてでも受注し新たに開発を入れることで会社独自の優位性を作っているといった考えです。

システムは常に進化していなければ舞台から脱落することはどこの世界でも同じなのでコストを掛けず都合よく受注できる案件などほぼ皆無に等しいのではないと思います。

副社長グループは実績は上げりませんが、現場グループも新たに開発する案件が多く思うような利益が上がらない状況が続きます。

#7へ続く

協業先(販売会社)との関係性#5

さて、このガラの悪い社長の会社と協業したところ、地元では中々顔が広く紹介案件をいただき導入サイトが広がりました。

またデメリットとして癖の強い会社のため、敵も多く営業秋ではまったく話もきいてくれない施設もありました。

他の販社と話をしていると必ず割り込んできて商談をぐちゃぐちゃにしてしまいます。同業他社からは劇薬に手をつけたね、と言われる次第です。

当面はこの地域に関してはこの販社で進め他の地域へ営業を掛けていきます。

少しずつですが、会社の知名度も上がり痒いところに手が届くシステムを開発している会社だと評判が立ちました。しかし悪い評判も立ち対応は早いがシステムの不具合も多いとの評判も出回ります。表裏一体ですね。

ただ障害が発生してもエンジニアにすぐに対応していたこともあり、大手メーカー及び外資メーカーから当社に対しネガティブキャンペーンが展開されました。

特に日本の大手メーカーがありもしないことを営業先に伝えて回っていることがわかりました。例えば手形で不渡りを出しているとか(手形は発行していない)ボーナスが出なかった等(少ないですが出ていました)このようなことを言って回りこの会社危ないですよ~と営業トークで全国展開しています(全国に支店がある大手会社なので)。

この展開は想像を超えていたので結構対処に苦労しました。問題無いことを証明することが難しいからです。(痴漢を疑われ、していない証明は難しいですよね)

外資メーカーは分かり易く、買収案をもってくるか協業案を持ってきます。

日本の大手メーカーは入札案件になると入札する施設から半径10km以内に営業所があることや、導入施設が500件以上あること等と仕様書案を施設へ提示してきます。大手の論理ですね。

俯瞰的にみれば面白い現象です。これはシステム、商品では負けるけど会社規模では負けませんよ、と言ってきてるようなものです。

このような会社と戦うには知恵を絞りだし、行動していくしかないと考えました。私の管轄する事務所では営業も増員し現場回りを徹底的に行うことをしていきました。

やはり現場を大事にしていると味方がどんどん増えてきます。

大手会社のファンである施設や担当者からの嫌がらせを受けながら地道に営業活動を続けていきます。

その成果がどんどん出始め導入施設が増えていきます。今ではブラック企業といわれるような働き方をしていました。

特に苦痛ではなく何か達成感が味わえる感じがとても楽しく、また年末年始も何年も休めなくなる状況してたが、休める時はとても休日を大事に過ごすようになります。

このような仕事になると世間が休日の時にシステムの導入、切換え作業を行うため、友人達と一緒に遊ぶ機会が極端になくなりました。

そのため、1人で遊べることを考え、サーフィンや大型バイクの免許を取りに行きますます友人との関係薄れていくことになりました。

しかし体は正直でずっと微熱が続いていたのですが、39度の熱が出始め診てもらうと過労で腎盂炎になっていると診断を受けます。このままでは透析が必要と言われたので夜中まで働くのは控えるようにしました。

#6へ続く

営業先でトラブル#4

担当者(Bさんとします)の方が本部へ戻り挨拶訪問したところ現在のシステムが残予算で導入したシステムのため、かなり機能が絞られた仕様となっていたようです。

現システムではバージョンアップでは対応できず、必要な機能を備えたシステムにするには新たに購入しなければならないとメーカー営業から言われたようです。

そうであれば他社も含めプレゼンを行い決めれば良いと社内で提案していただき当社も参加することができるようになりました。

入札仕様を決める段階でBさんの要望がなかり詰め込まれたため、入札できるメーカーがかなり絞られました。当社でもこの仕様は満たれておらず、新たに開発が必要となります。本社開発と掛け合い開発可能との返答をいただき入札条件を満たし無事落札ができました。規模にして一億ちょっとの案件となります。

新たに開発する部分も多くあり、昼夜とはず作業にかかります。

稼働日では当初思っていたところまで開発が進まず、稼働日の延期となります。まずいことになったと思いつつBさんへ説明を行い上司の方へも説明を行いました。稼働の延期について了承いただき、開発を進めます。

稼働日が近づき不眠不休で対応し何とか稼働日に間に合わせることができました。

担当者Bさんも満足はしてくれましたが、ここはスタートでゴールではないと言われます。これは引き続きカスタマイズの要求があるよということでした。

実は入札前にもひと悶着がありまして地元の販社が当社のシステムの入札に参加させろとしつこく言ってきました。今回の入札は販社はどこも通さないと伝えたところ、販社の社長に待ち伏せされかなりの勢いで脅されました。

ただ私も関西に住んでいたため、このような方とはしょっちゅう(かなり昔の話です、最近はこんな方いませんよ)、見てきましたので関西の人たちに比べるとやや迫力が欠けるな~と思いながら聞き協業は無理です!と言って帰ったことがあります。しかしこの販社の社長が入札予定の会社に泣きつき、Bさんよりこの販社を通じて入札してくれないか、と打診があったためしかたなくこの販社を通じ入札しました。もちろん販社より入札金額については事前に教えていただきました。

入札後この販社の社長に呼出され、社長からの忠告を聞き入れなかったのは君が初めてだと言われ(良いことなのか、悪いことなのかわかりませんが)、今後も長い付き合いとしてほしいとのことでした。

別に反社ではないので筋さえ通してビジネスができるのであれば当社もこの地域での拡販ができるようになるので大歓迎です。

#5へ続く

起業までの道のり#3

本社へ顧客より今までの対応を評価いただき、次の提案ができることを報告しました。

すると前任で逃げ回っていた担当者が自分が提案に行くと言い出します。

この担当者(Aとします)はとにかく社長と副社長(副社長が採用した人物)に気に入られようと必死で社内営業をしておりますが、残念なことに(私にとって)商品の知識は現時点では高いため、しぶしぶ了承することにしました。

Aが張り切って現地訪問するので同行しデモ、プレゼンの準備に取掛ったところ、現地担当者から何しに来たの?とAに向かって言いました。

これはまずい雰囲気になるなと思い、今までの件についてもお詫びと新製品について説明のため同行をお願いしました、と伝えたところ、あっそうと言われ奥に行かれました。

まずいな~と思っていたら担当者の方から呼ばれ、あんな感じで良かった?と言われ私が苦労していたのを見かねてわざと言ってくれたようです。

その後、プレゼン、デモについてはちゃんと聞くよと言っていただけました。

追加で提案したシステムを気にっていただき見積り依頼をいただけました。

Aが本社でどのような報告をするかは目に見えていますが、まずは売上げを上げることが先決です。

社内営業はAに任せスピードが大切なので見積りと提案資料を提出します。

入札方式を取るとのことで似たようなシステム会社と競合入札となり仕様面も含め無事落札となりました。

しかし導入に向けたスケジュール調整のため、訪問すると担当者の方が異動になると聞かされます。

担当者の本部へ異動となり、せっかくシステム導入まで動いていただいたのに残念でなりません。

でも考え方を変えて担当者が本部へ異動となるのであれば本部へ営業をすれば良いのではないか、と思い担当者の方へ異動されたら挨拶訪問させていただいてよろしいですか?と尋ねたところ、ぜひ顔を出してくださいと言っていただけました。

やはり人間関係をおろそかにせず、しっかりと対応していれば良いこともありますね。

その後、担当者の方が本部へ異動され思ってもいない大型商談に参加できることになります。

#4へ続く。

起業までの道のり#2

#1からの続きです。

社長に告げ口のような形ではありましたが、社長も本件については注視していたとのことで、報告が上がってこないのでこちらから連絡しようと思っていたところだと言われます。

報告は何度もあげていることを伝え、既に提出していた報告書を再提出し今までの経緯について確認をいただきます。

社長からは会社として全面的にバックアップするとの約束をとりつけました。

本社のバックアップ体制は整いましたので、顧客の元へ毎週船に乗り通い続けます。

同行してくれているエンジニアには、もう毎週こなくていいよと言われるまで通い続けようと伝えました。

そして毎週通い続け現場担当者と密に打合せを行い、その場で開発へ連絡し改善点を伝えます。修正したプログラムを送付され、インストールし現場担当者に確認いただくことを続けました。徐々に担当者とも普通に会話ができる関係にまでなり冗談も言える関係性を築くところまできました。

担当者からは自身のアイデアがシステムに反映されるため、もう来なくていいよと、言われるようになるまでと言っていたのですが、担当者の意見がシステムに反映されるためかなりご機嫌な状況となり次いつ来るの?と逆効果となる状況になりました。私の思惑とは違いましたが関係性は改善され良い状況にはなれたので良しとしました。

運よく本社開発に転職してきた業界では有名なプログラマーがいたことも対応できた要因の1つです。なぜこの小さな会社に入社してきたのかはわかりませんが非常に心強い味方ができ助かりました。担当者からの要望を全て対応していただき、それ以上のシステムを提供もすることが出来ました。

半年ほど通い続けようやく担当者より、もうこちらから連絡がなければ来なくていいよ!と言っていただけました。

しかし営業としてはかなり経費も使ったことから、欲が出て追加のシステム提案をさせてほしいと伝えたところ、いいよ!と思ってもいない返答をいただけます。

#3へ続きます。

起業までの道のり#1

昨年7月に起業したのですが、起業するまでどのような準備をしていたか、なぜ起業に至ったかを書いていきます。

まず初めに今まで勤めていた会社でどのような経験を積んできたかを書いていきます。長くなりますが・・・

私は長年務めていたシステム会社を退社し起業をしました。

システム会社では営業として入社しその後、マネジャとなり西日本を統括する立場にまでなりました。

入社当初は会社も小さく本社と支店は2支店のみの小規模会社でした。 (現在は20拠点あり海外にも進出する会社となっております)

私は関西に支店を作るとのことで立上げに参加し活動を始めました。

当初は責任者となる50代の営業と事務員の3名体制でワンルームのような事務所でスタートです。

営業といっても人員は本社に2名しかおらず、基本の見積書ですら無い状況です。催促しても見積書や価格表を提示してくれず、かなり キツイ会社に入ってしまったなと後悔する日々が続きます。

試練はここから始まります。瀬戸内海のとある島にシステムを本社営業が導入し現場からクレームの連絡が来たとのことです。担当は関西なのでそちらで対応するようにと言われ何が起こっているのかわからない状況で船に乗り現場へ駆けつけます。

本社から関西に配属予定のエンジニアと同行してもらい神戸の港から90分の船旅です。到着した港から車で1時間ほど走り現場へ到着。

早速現場責任者の方と小部屋に案内され挨拶もそこそこに本社営業が提出した提案書、カタログを出してきます。現状対応できていない箇所が赤線でアンダーラインが引かれていました。

本社の営業がどのような説明をして採用されたかは何度聞いても返答がないため、先方の言い分をじっくり聞くようにします。

先方の言い分では売り込みに来た営業が何でもできるような話をして、渡されたカタログに書かれていることも3割ほどできない部分があるとのことです。

話を聞く限りではこちらには落ち度しかなく何も言い返せない状況でした。

3時間ほど話を聞き、システムの状況をエンジニアと確認します。

今日のところは持ち帰りとし後日、再訪問で返答するとのことを了承いただき解放されました。港まで急ぎ戻り何とか最終の船に乗ることができ、家に着いたのは25時を回っていました。

翌日本社に報告すると担当者はノラリクラリとかわしていきます。

埒があかないので社長へ直接伝えることにしました。

#2で続きを記載します。

GW京都伏見へ酒蔵巡り

5月の連休に京都伏見へ酒蔵巡りに行ってきました。

まずは京阪線中書島駅におり5分ほど歩くと伏見十石舟手前に長建寺があります。

こちらでお参りしていきます。弁財天を祀る神社で福徳・智恵・財宝をもたらす7福神の1つとして人々の信仰を集めています。

橋を渡り月桂冠大倉記念館へ。

入館料600円を支払います。お猪口1つとコイン3枚がいただけます。

月桂冠の歴史を見て回り、最後に試飲です。(これが楽しみ)

10品目の中からコイン3枚、3種類選ぶことができます。

私は辛口が好みなので純米吟醸の辛口を3種類選び試飲。

まろやかで美味しいです。

隣に売店があり、試飲したお酒を購入することができます。

まだ回りたいところがあったので帰りに購入をすることとします。

次に黄桜酒造へ。

カッパカントリーで黄桜の歴史を拝見し黄桜のレストランへ。

昼食はシャケとだし巻き卵定食にし、お酒は(ここが大事)しぼりたて生酒を…あてにタコわさをチョイス。

タコはこりこりしてワサビも辛さ控えめでお酒にとてもあいます。

このレストランではビール作りにも力をいれております。

続いて竜馬通りを抜け寺田屋へ。

坂本龍馬が京都での定宿にしていたところです。

ここで殺害されたと勘違いしていました。殺害されたところは近江屋ですね。

こちらの入館料は大人400円。

帰りに月桂冠本社があったところがカフェになっており、お茶していきます。

席は空いているのですが店員が少ななくかなり待たされます。

もう帰ろうかと思ったときに呼ばれコーヒー飲んでそそくさと退散。

十石舟に乗ろうかと受付に行きましたが2時間待ちとのことで、こちらはまた次回とします。

天気も良く、よい観光日和でした。

帰ってから気づいたのですが、もう1件寄りたい酒屋があったのですが、すっかり忘れてました。

次回十石舟もリベンジで再訪しようとおもいます。